こんにちは、心リハ太郎です。
日経ビジネスオンラインに面白い記事が載っていたのでご紹介します。
危なくても「空飛ぶ自動車」を作れる国であれ:日経ビジネスオンライン
記事では航空機やモビリティ開発の発展を阻害している大きな原因は日本における「新しいものを拒否してでも、安心を求める私たち」と「権限をどこまでも増やしていきたい官僚」が合わさった結果ではないか、と述べています。
この構造は医療界やその他の産業においてもほぼ同じではないかと思われます。
記事内の主語をモビリティから医療技術、IT技術に変えるだけで様々な社会的規制が同じ問題に行き着くことに気づくでしょう。
そして、その原因は我々日本人が総体的に、責任者は誰だ、と探すところにもあると述べられています。
実のところ私たち日本人の事故に対する対応は、からっきしです。ド下手です。「責任があるのは誰だ、出てこい」「あやまれ」「弁償しろ」に偏っている。その結果「やめてしまえ」「二度とやるな」「そんなことできないように法律で規制しろ」となってしまいがちなんです。
・・・中略・・・
でも、頭下げさせて、溜飲は下がっても、何も問題は解決しないでしょ。本当に大切なのは「二度と同じ事故を起こさないためにはどうするか」なんです。「やめちまえ」というのは一番悪い対応です。未来を塞いでしまうのだから。
ワイドショーやニュースでよくある誰かに頭を下げさせるまで徹底的に叩き続ける姿は典型的な例ですよね。
しかし、犯人探しをすることは社会を発展させることに何ら寄与しない場合が多いということに気づいた方がよいのです。
記事では、米国がどのような仕組みになっているかを説明しています。
松浦:この連載は航空を扱うものですから、航空機の事故を例に取りましょう。米国では国家運輸安全委員会(NTSB)という組織が事故調査を行います。非常に強い権限を持っていて、例えば関係者に免責特権を与えて証言を得ることができます。事故の原因となった者を罪に問わない代わりに、真実を話させて、次の事故を起こさないような勧告をまとめるんですね。この仕組みは、米国の航空産業の発達に大きく貢献していると思います。
Y:責任者を犯罪者として罰する、じゃないんですね。罰すれば溜飲は下がるけれど、次の事故を防げないから、許す。許すかわりに全部洗いざらい話させて、次の事故を防ぐ。
松浦:新しい技術は必ず危険を内包していると見たほうがいい。そこで、新しい技術を、より安全なものとして役立てていく社会的な仕組みが必要、というわけです。
誰か責任者を引きずり出して謝罪をさせ罰を与えるのではなく、許すかわりに全てを洗いざらい話してもらう、それを元にさらなる安全・発展に繋げるという考え方です。
この後に官僚の話も出てきますが、これは我々ではどうにもならないので省きます。
個人として我々ができることは、新しいチャレンジを妨げず、また失敗も社会の財産にするという許容と教訓の考え方に乗り換えるというそれだけです。
なかなか人の心や考え方は変わりませんので、簡単ではない話だと思います。
それでも皆の考えが変わった時、社会は大きく変わるのではないでしょうか。
今はまだ夢物語かもしれませんが・・・。
ではでは。