こんにちは、心リハ太郎です。
皆さんは映画『メッセージ』を、もうご覧になりましたか?
私も先日映画館で観てきたんですが、SFとしてもヒューマンドラマとしても大変傑作で、全編緊迫感にあふれ、それでいて人間とは何かと考えさせられるような、自分の子どもにもいつか観せたいと思える素晴らしい作品でした。
作品の核心について語るとネタバレになるためそこは実際に観ていただくとして、『メッセージ』に関する映画評の中で、他者とのコミュニケーションの本質について切り込んだものがあり、心臓リハビリテーションにも参考になると思いますので引用してご紹介します。
『メッセージ』 あらゆるコミュニケーションは翻訳である|およそ120分の祝祭 最新映画レビュー|伊藤聡|cakes(ケイクス)
リンク先はネタバレ満載のため、是非映画を観てからご覧になることをおすすめします。私の記事は極力ネタバレにならないよう書いてます。
しかし翻訳は何も、宇宙人とのあいだにのみ必要なものではない。
同じ人間どうしでも、言語が異なれば翻訳は必要である。
さらにいえば、翻訳という行為はもっと身近にあるものだ。
アメリカの小説家リチャード・パワーズはインタビューで、同じ言語のなかにも翻訳があると述べている。
たとえば日本人が、同じ日本人の書いた本、話した言葉を理解しようと試みる行為もまた、ひとつの翻訳であると彼は主張するのだ。
「自分の言語であっても、やはり翻訳しているのです。それまで全然知らなかった物語を、これなら知っていると思える物語に訳している。そして、それと同時に、外から入ってくるその物語を受け入れるために、自分の物語、自分という物語も翻訳しているのです」
「今とは別の時代の本を読むのも、やはり翻訳ですよね。それにたとえば、異性の書いた本、自分とは違う人種の人が書いた本を読むのも、つねに経験の翻訳です」*2
自分とは違う価値観や視点を持った他者の言葉に耳を傾けることは、すなわち翻訳であるとパワーズは主張する。
すばらしい視点ではないだろうか。
他者とコミュニケーションを取ること、それじたいが翻訳の連続なのだ。
発せられたメッセージを咀嚼し、自分なりに理解しようと思考をめぐらせる行為。
ゆえに、あらゆる場所で翻訳は発生する。
われわれはみな、ヘプタポッドの難解な表意文字を理解しようと頭をひねるルイーズのように、異なる考え方を持つ他者とのコミュニケーションを手さぐりで続けていかなくてはならない。
他者とはそもそもヘプタポッドのような存在であり、相互理解がむずかしい対象なのだ。
*2 柴田元幸『ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち』(アルク)p143〜145
リチャード・パワーズのインタビューは、他者との相互理解が何故難しいのか、そして人間が他者をどのように理解するのかの本質を突いたものです。
人間は皆、他者を理解しようとするときは、他者の言葉を自分の体験・経験や言葉に置き換えて、自分の物語を用いて翻訳を行い、自分の中に取り入れている、ということです。
この翻訳にはお互いにかなりの努力が必要になります。
何故なら、自分の物語を用いて翻訳したものが正しいかどうかさえ分からないという不確実性の中でも、相手に対する興味・関心を寄せながら必死に翻訳し続けるしかないためです。
しかし、これこそが人間のコミュニケーションの本質であり、極意であるのです。
我々が他者(患者さんや医療スタッフ)とコミュニケーションを取るときも同様だと考えてみてください。
医療の場面においても、我々と他者の双方が自身の中にある物語を用いて相手の言うことを翻訳し、相互理解をしているのです。
言い換えれば、お互いが自分勝手な文脈で相手を翻訳しているとも言えます。
相互理解をしようという熱意がなければ本質的なコミュニケーションは失敗し、自分の中に翻訳に使える言葉や経験・物語が見つからなければ、やはりコミュニケーションは失敗します。
皆さんがコミュニケーションを難しいと思っているのはこのことが原因です。
また全然難しくないと思っている人がもしいれば、それはコミュニケーションの天才であるか、または独りよがりのひどいコミュニケーションしかしていないだけなのかもしれません。
記事にあるように、コミュニケーションの基本は、必死に頭をひねりながらコミュニケーションを取り続けようとする、あなた自身の態度があるかどうかです。
心臓リハビリテーションではこの部分が常に問われるのではないかと思います。
こんな小難しい話は抜きにしても『メッセージ』は歴史に残る名作なのは間違いないので、まだご覧になっていない方は是非ご覧になってみて下さい。
原作小説もSF界では傑作と言われています。
映画をみるとよくもこの作品を映像化できたなと思います。
こちらは英語版です。原題はARRIVAL(来訪)なんですね。 日本語ではないのでご注意を。
劇中の音楽は現代クラシックのように静謐の中にも感情を揺さぶるような不思議な、でも素晴らしいサウンドでした。
ではでは。