心臓リハビリテーションのまにまに

心臓リハビリテーションを10年以上している心リハ太郎が日々考えたり思ったりしているエビデンスのあることないことをつらつらと書いています。

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心臓リハビリテーションとは(その4)

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急性期の心臓リハビリテーションには落とし穴がある、というお話の続きです。

この落とし穴にはまると、退院後の治療や自己管理がうまく進まない人の数が多くなります。

具体的に説明します。

心臓病の受容は難しい

患者さんの中には、「まさか自分が心臓病になるとは思わなかった」 と驚きを感じている方が多く、逆に「身体はもう何ともないから売店行ってもいいでしょ?なんでダメなの?もう退院させてよ」という人も多くいます。

このように心臓病になってしまったこと自体を入院中にしっかりと受け入れられている方は医療者が思うよりも少ないな、というのが個人的な実感です。

これが脊髄損傷による下半身不随などであれば、「すぐに受け入れられないのは仕方ないかもしれないな、受け入れるまで話をするのを待とう」と医療者は思うかもしれません。

しかし、心臓病の場合、医療者はなぜかこういった考え方ができなくなるんです(できている人もいるとは思いますが少数だと思います)。

心臓病になるということは、それまでの「健康だったはずの自分」を喪失する、ということです。

患者さんは身体も問題なく動くかもしれませんし、日常生活への復帰も問題なくできるかもしれませんが、病気になったこと自体で精神的に喪失したものがあるのです。

喪失体験とその後の経過

フロイトは、こういった喪失に対して起こる反応のことをモーニング・ワーク(喪の仕事)と言っています。モーニングは朝という意味ではなく、正装の衣装を意味する言葉としても使われるモーニング(mourning:喪)です。グリーフ(大きな悲嘆)・ワークという言葉も使われるようです。

この喪失体験には大きく分けて4つのプロセスがあると言われます。

  1. ショックの段階
  2. 怒りの段階
  3. 抑うつの段階
  4. 立ち直りの段階

ショックで混乱し、悲しみとともに過去の自分に怒りを感じたり周りの人に責任転嫁したりし、絶望感から抑うつ状態になり、最後に前向きになるという感じです。

患者さんがこの全ての段階を経るというわけではないと思いますが、病気について前向きに考えられる状態になっているのは、4の立ち直りの段階です。

親しい人やペットの死、半身不随などの場合、それを受容するのに半年ほどの時間がかかる場合もあると言われます。

病気になったことを受容することも、健康であったはずの自分を喪失したわけですから、医療者が考えている以上に時間がかかるケースが実は多いと考えられます。

病気にかかることは高いストレスになる

ホームズとレイはストレスの原因になる出来事にはどのようなものがあるかを調べ、社会的再適応評価尺度を作成しました。

この尺度では、自分の病気や障害は上から6番目、肉親の死の次に高いストレススコアのつけられた出来事です。

どのような出来事がストレスになるのかについては、こちらのサイトに詳しく載っていますので参考にさせていただきました。

ストレス評価|社会的再適応評価尺度 - 仙台カウンセリング 仙台心理カウンセリング

この尺度からもわかるように、心臓病の発症とは、患者さんにとって非常にストレスを感じる出来事であり、また喪失体験です。

したがって患者さんが心臓病を簡単に受容できると考えるべきではなく、また発症したことを医療者が軽視すべきではないのです。

まとめ

今回の記事では、心臓病の発症とは患者さんにとって非常にストレスがかかり、また簡単に受容できるものではないということを説明しました。

個人的には、急性期病院の入院中に自分の病気を受け入れることができる人の割合は皆が考えるよりも少ないのではないかと考えていますし、実際の感覚としても大きく間違ってはいないと思います。

今回話したようなことを医療者が理解できないと、急性期における患者さんの精神面がわからず、こちらの喋りたいことばかり話して患者さんを置き去りにしてしまうという最悪のコミュニケーションが行われることになりかねません。

その結果、信頼関係が築けず、最悪の場合は患者さんがこちらの言うことに耳を傾けてくれなくなります。

患者さんは病態を理解できないまま、病気の管理の重要性も理解できないまま退院し、後に再発して病院に戻ってくるというケースも少なからずあるのではないでしょうか。

医療者にとっては他人の身体で何度も経験した病気でも、患者さんにとっては自分の身体と心で初めて経験することであり、そのことを忘れずに臨床に臨みたいと、いつも思っています。

 

次回に続く

 

※上記は私個人の考えであり、様々な考え方があると思います。必ずしもこの考え方が正しいというわけではありません。