心臓リハビリテーションのまにまに

心臓リハビリテーションを10年以上している心リハ太郎が日々考えたり思ったりしているエビデンスのあることないことをつらつらと書いています。

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介護生活敗戦記から学ぶ患者家族の心情

こんにちは、心リハ太郎です。

このブログでも何度か紹介している日経ビジネスオンラインで連載中の「介護生活敗戦記」で、ホスピス医の小澤竹俊さん(めぐみ在宅クリニック院長・エンドオブライフ・ケア協会理事)を迎え、筆者の松浦晋也さんと対談する企画が全4回の記事になるようです。

ホスピス医の小澤先生「50代男の介護」を診る:日経ビジネス電子版

今回も非常に面白い内容でしたので対談の序盤を引用してご紹介します。

小澤竹俊先生(以下小澤):『母さん、ごめん。』読ませていただきました。それで、いろいろ聞いてみたいことが出てきたんですが、まず、介護の初めのころというのはどんな感じだったんですか。

松浦晋也(以下松浦):初期ですか。初めのころは、本当に「何も認めたくない」なんですね。後から考えると。

小澤:認めたくない。

松浦:そういうふうに言語化できていたわけじゃないんですけれども。言い換えると「いつもの日常に戻りたい」なのかもしれません。たとえ、母の介護で何かとんでもないことがあっても、必死で日常の中に回収していこうとする、というんでしょうか。「やっちゃったか、しょうがないね」みたいなことを言って、黙々と後片付けをする。それは、いつもの日常に戻るためなんですよね。日常に固執してしまうというんですか。

小澤:それは、変化した現状を認めたくないから。

松浦:ええ。自分と母の人生が、今までと違うフェーズ、段階に入っているということに対して「それは受け入れ難い」という気持ちがあるわけです。これは後付けの解説ですけれど。

小澤:でも、介護に当たられる方には、当時の松浦さんと同じように「これは一時的な状態で、いずれいつもの日常が戻ってくる」と思っていらっしゃる方が結構多いんじゃないかと思いますよ。特に、普段そばにいなくて離れて暮らしていたり、あるいは仕事で日中いなくて夜中に帰ってくる方とか。

松浦:親の「現状」からやや離れて、働いている方ですね。

小澤:今のお話は非常に大事なテーマです。松浦さんがお持ちだったのは、「元の元気だったお母さんに、なるべく早く戻ればいい」という、変化を認めたくない気持ちなんですね。

松浦:そうですね。

小澤:たぶん当事者目線からいくと、どうしても先送りしたいんですよ。「そんなことはない。ちゃんとできるはずだ。母に限って、たまたま1回できなかっただけで普段はできている」とか。

松浦:その通りです。それは願望でしかないということに徐々に気が付いていくという。

実際の臨床の中でも、認知症や疾患によるADL低下をご家族がなかなか認めようとせず、なかなかサポート体制が構築できないケースがあります。

しかし、こういうケースを単に家族のわがままと捉えるのではなく、家族が患者さんの状態の変化を受容できるまでには時間がかかるし、受容しやすい方法にも個人差があるということを知っておくと、柔軟な対応が可能になるものと思われます。

医療関係者にとって非常に参考になるエッセンスが詰まっていますので、上で紹介した記事に是非目を通してみてください。

また介護生活敗戦記の本編をまとめたこちらの書籍は非常に良書です。
医療関係者は一読しておくと様々な場面で役立つと思いますので是非どうぞ。

ではでは。