心臓リハビリテーションのまにまに

心臓リハビリテーションを10年以上している心リハ太郎が日々考えたり思ったりしているエビデンスのあることないことをつらつらと書いています。

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認知症が激増する時代にどう立ち向かうか

こんにちは、心リハ太郎です。

今後の日本において認知症患者さんへの対応は急務というか、既に遅きに失しているような気もしますが、心臓リハビリテーションにおいて、認知症への対応は滅茶苦茶に重要です。
何故なら認知症の方は疾病管理など到底できず、再発を繰り返すリスクがこの上もなく高いからです。

認知機能低下がはじめにもたらすのは、基本的ADL(BADL)の低下ではなく、応用的ADL(IADL)の低下であり、すなわち自己管理能力の低下です。
例えば

  • 金銭管理
  • 服薬管理
  • 通院管理
  • 食事管理
  • 水分管理
  • 活動管理

などなど、心臓リハビリテーションにおいて、心不全や冠動脈疾患の再発を防ぐためには必須とも言えるような項目がこれでもかと並んできます。
しかも一般的に認知症と言われるレベルではなく、軽度認知機能低下くらいから、これらの問題が始まります。

心臓リハビリテーション界隈ではフレイルティ(身体的虚弱)の話題が花盛りですが、精神的フレイルティの一つとも言える認知症にも、もう少し目を向けましょうよと声を大にして言いたい今日この頃です。


さて、認知症患者さんが今後どのくらい増え、社会に及ぼす影響がいかなるものかについて参考になる記事がありましたので、引用してご紹介します。

「認知症700万人時代」にどう立ち向かうべきか:日経ビジネスオンライン

厚生労働省「国民生活基礎調査」(平成25年)では認知症高齢者の家族との同居は61.6%(うち、子供や子供の配偶者の合計は33.0%)、事業者は14.8%である。
自立した生活を送れている認知症患者の割合は少ない。老齢に差し掛かって伴侶・配偶者からの支援(26.2%)以外の人の手を借りて暮らしている高齢者は、年金など社会保障の収入とは別にそれだけの生産可能人口からの支援を受けながら生活していることになる。
逆算すると、2012年すでに300万人ほどの日本人が認知症患者の生活支援を何らか行いながら暮らしており、2025年にはそれが500万人以上になるのであって、人口のおよそ4.6%が認知症患者を家族に持ち生産性を発揮せずに患者本人が亡くなるまで暮らしていく構図が浮かんでくる。

8年後には20人に1人が認知症の家族を抱えるために社会参加を阻害される時代がくるようです。

認知症の家族との生活は考える以上に大変なものです。
時間的・精神的・金銭的負担が否応なしに介護者へのしかかってきます。
認知症単体では要介護度もあまりつかず、十分なサービス利用も困難なことがあり得ます。

患者さんの家族が認知症の方を家庭に抱えている時、その患者さんは正直自分の事どころではなく、疾病管理も困難になるかもしれません。

また認知症の患者さんが独居だった場合、退院後に家族が引き取らなければいけないケースも現在よりさらに多発するはずです。
このようなケースを社会的に支える仕組みを作ることは急務と思われますが、実情は金銭的にもベッド数的にも問題の多い施設入所しかなく、家族にお願いする他ない場合がほとんどです。
2025年まで現状の仕組みで果たしてなんとかなるのでしょうか・・・。

また、軽度認知障害(MCI)を認知症予備軍として見込む調査も多い一方、かかりつけ医や物忘れ外来など軽度認知障害である所見がないまま、何となく家族が高齢者の物忘れに認知したころには相当程度の認知症状の進展が起きているケースも無視できない割合存在する。

軽度認知障害は、例えばMMSE(Mini Mental State Examination)で27点以下と言われたりもしますが、このレベルの認知機能低下者には臨床では非常によく遭遇します。
人によってはこの状態から自己管理が困難になってくる場合もありますので、こういう場合は誰に管理をしてもらうのかを考えなければなりません。

またMCIの方は数年で認知症に進行するリスクが高く、その時には既に疾病管理不良による心不全増悪を繰り返しているなど、問題解決がより困難な状態になっている危険性が高いため、MCIを同定し、あらかじめ家族へ病気の管理方法を伝えておくなど、何らかの対策を取っておく必要があるかもしれません。

先の厚生労働省分類における「急性増悪時」から「中期」以降の認知症患者を家庭が受け入れるとき、極端に困難が訪れる事例報告はむしろADL(日常生活動作)よりもIADL(手段的日常生活動作)に顕著に表れる。
認知症患者を抱える家庭の大きなストレスは介護そのものよりもこのIADLの欠落や、認知症状が進んだ結果としての人格の喪失や徘徊に対するケア、さらには家庭内でところ構わず行ってしまう排泄の処理だ。
人としての尊厳を失わないうちに進行した認知症患者を適切に対処や処置する仕組みが求められる点は、本人だけでなくそれを支える家族のためであって、それが2025年には500万人以上の苦悩を引き起こすことは目に見えている。
すなわち、日々の活動の中で歩いたり、ベッドから起き上がる、歯を磨くあたりから、排泄、入浴ぐらいまでであれば実施可能だという認知症患者は多数存在する。
これらは、先に述べた厚生労働省の要介護認定のレベルからすれば、要介護度さえつかないレベルで日常生活は可能と判断されることになる。
認知症がある程度進んでいると見られるのに、要介護認定がつかずに行政の目が行き届かなくなるケースが多い理由はここにある。
実際に、事例研究でも80代女性の日常生活に不便はないと判断されたにもかかわらず、買い物に出かけられず栄養失調になるケースは事欠かない。
高齢者本人が「できる」けれども日常的に「している」とは限らないうえ、バランスの良い食事を摂れているかや医師から処方された服薬が決められた通り飲むことができるかは、実際に生活の中に立ち入ってみない限りなかなか判然としないのだ。
老々介護の現場においては、本人も配偶者も一緒に認知症になる悲惨なケースは特にケアが必要だと考えられる。

初発の高齢心不全患者さんによくみられるケースは、基本的ADLが自立しているゆえに、独居や老々介護世帯でその人の問題が人の目に触れず、病気の管理が出来ていないことから心不全を重症化させて入院というパターンです。
この場合、心不全治療をして家に帰るだけでは何も問題は解決しません。
入院中に認知症の有無を判断し、BADLに問題がなくても介護サービスを使える環境を整えることも重要です。

加えて、人間が社会生活を送るうえではこれらの初歩的な生活動作だけでは暮らしていけない。
電気代ガス代水道代は払わなければならないであろうし、買い物や口座管理といった、普段使いのために必要なお金の出し入れを本人が意志として充分に実施できる状況にない限り、文化的な生活を送る健常な人間とは言えなくなってしまうのも現代社会の特徴である。
認知症患者はこの急性増悪期以降、個人差もあるが数か月から一年半程度でIADLの機能を喪失する可能性が指摘される。
精神病床における認知症入院患者に関する調査概要では、認知症が原因として入院せざるを得なくなった高齢者454名を対象に実施した調査の結果が事態の困難さを示している[6]。
すなわち、食事の用意が困難と判断された高齢者が95.4%にのぼったのをはじめ、金銭管理が困難と判断される高齢者が97.4%。家事全般が同92.9%、薬の管理が96.0%である。

入院が必要な認知症と判定された時には、一般的な人間の生活には戻れない状況に至っているわけですが、そういった人たちがここから10年程度で劇的に増加してくる時代にどう先回りするか。
この辺りをしっかりと考えて対処できる病院とそうでない病院の差がここから10年で今よりも更に際立つと思われます。

引用した記事は、政策的な提言を目的としているためか、居住拠点を集約してケアをしていくなどなかなか過激な結論になっており、その是非は難しいところですが、認知症への対応をなんとかせねばならないという熱い思いは伝わってきます。

冒頭で述べたように、病気の管理を考えた際に、患者さんの認知機能低下を考えずに済ますことはできない時代になってきています。
医療者も更に増える認知症あるいは軽度認知障害の方にどう対処していくのかをそろそろ考えておいた方がよいでしょう。

また、認知症であっても人間としての尊厳を尊重する関わりは重要です。
何故なら人間の快不快や喜怒哀楽といった情動は、大脳機能だけではなく、扁桃体などをはじめとする古い脳である大脳辺縁系も関連するためです。
人間以外の哺乳類にも情動は存在すると言われ、それには言語的コミュニケーションがとれるかどうかは関係しません。
このあたりを重視したのがユマニチュードというフランス生まれの概念です。
特に認知症が増え、大わらわとなるはずの看護ケアの場面で人間の尊厳を守るにあたり非常に参考になりますので、ユマニチュード入門あたりをご一読されるとよいかと思います。

ではでは。