心臓リハビリテーションのまにまに

心臓リハビリテーションを10年以上している心リハ太郎が日々考えたり思ったりしているエビデンスのあることないことをつらつらと書いています。

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心臓リハビリテーションとは(その3)

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前回は心臓リハビリテーションとはどういうものかについての話でした。

心臓リハビリ≠運動という話でしたね。

 

急性期の心臓リハビリテーション

今回は急性期(発症早期)の心臓リハビリテーションについてです。今回もリハビリテーションという概念を中心に考えます。

離床や運動療法時のリスク管理、病態の把握については後日別項で述べようと思います。

 

急性期の治療と心臓リハビリテーション

心筋梗塞や心不全などの、命に関わる心臓病では、まず命を救うための治療(救命治療)が行われます。

 

その後、状態が落ち着いたところで、ベッドから起きてトイレへ行く、入浴をするなどの離床が始まり、それと平行して徐々に健康寿命の延長を目的とした運動療法が導入されていきます。この離床と運動療法が急性期心疾患理学療法の中心です。

 

急性期は病態も不安定なことが多く、離床や運動療法によって病気が悪化する危険もあります。そのため多くの知識と適切な判断が必要とされ、心臓リハビリテーションの中でも注目されやすい部分です(あくまで私見ですが)。

 

また入院中には退院後の心臓病の再発を防ぐために自宅で患者さんが行う服薬、食事療法、運動療法についての教育プログラムも平行して行われます。

 

この急性期心疾患理学療法と教育プログラムを合わせたものが急性期の心臓リハビリテーションになります。(より広い意味では急性期の医学的治療も心臓リハビリテーションに含まれると思います。)

 

以上、急性期の心臓リハビリテーションを簡単にまとめてみました。

急性期理学療法は心臓リハビリテーションの一部に過ぎない

急性期理学療法は、前回述べたような患者さんを一人の人間として捉えるという考え方をすれば、心臓リハビリテーションの概念の一部に過ぎません

教育プログラムを含めたとしても、それが予防的介入であり病気にしか目を向けていない場合は、やはりまだ心臓リハビリテーションの概念の一部であることには変わりないのです。

 

理学療法が病気を持った人を対象にしているのは当然のことなのですが、だからといって病気にだけしか目が向かないのはもったいない話です。

 

前回の話にもあったように、リハビリテーションとはあらゆる手段を用いて患者さんの幸せを追求できる概念なわけですから、そもそもその人はどういう性格でどういう考えを持った人なのか、認知症や精神的な問題はないのか、その人の周りにいる人や周りにある環境はどうか、経済的な問題を抱えていないか、など、知っておいた方が良いことは沢山あります。

何故ならこれらは全てのその後どうするかを決めるのに深く関わってくるためです。

 

蛇足ですが、個人的には症例という言葉の使い方は好きではありません。何故なら症例とは症状の例という言葉であり、人ではなく病気が主体となった言葉だからです。

 

病気の治療を生業とする医師がどう病気を治すかという話をする時はともかく、人間を相手にしているにも関わらず、人である前に病気、みたいな意図を感じる症例という言葉を心臓リハビリテーションに関わる人が使わなくなる日が来たらいいなーと思っています。

急性期リハビリテーションの落とし穴

急性期では治療やリスク管理が優先されることから精神面・社会面の問題は見過ごされやすく、医療者からの患者さんへの働きかけも病気の治療である薬物療法、食事療法、運動療法などに集中しがちです。

それゆえにリハビリテーションの大事な考え方、つまり患者さんは病人である前にたった一度きりの人生を生きている一人の人間である、という視点が抜け落ちやすくなります。

急性期の心臓リハビリテーションでは病気にばかり目が行きやすくなるというところに落とし穴がある、と私自身は考えています。これは急性期医療の落とし穴、と言い換えてもよいかもしれません。

 

次回に続く

 

※いうまでもありませんが、私個人の考えであり、これが正しいというものではありません。